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自分のワークから(その2)2017.10.20

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 先日もワーク中に、ふと「本当の大人」という思いがでて来ました。五感は開いていて感じられ、透明感のある明るさ。人々の気配や温もりが身近にあるが、すこぶる静かで心地よい・・・という無理のない爽快な感覚。

 

 前回のブログでは、継母に対する私の無意識の中の気持ちの発見について書きました。何事にも向き合って生きていきたいという「いのち」の願いは、芯柱のように、私を貫いていることが実感できました。が、それと同時に、ここへの思いが強すぎて周囲が見えなくなっていたということにも、気付かせてもらいました。

 

 思いが強いということは、うまくいったときの悦びは一入かもしれませんが、反対に、こだわりとなって働いた時には、人一倍苦しみが大きくなるというわけです。「思い込み」「信じ込み」というのは、自分の思いに呑み込まれているので、周囲が観えていない状態です。「逃げないで向き合いたい」という気持ちだって、強くなりすぎれば、こだわりとなって、自分を縛ってしまいます。人の気持ちは色々です。向き合いたくない人だっているのです。

 

 継母との関係も、私の無意識のこだわりが、自分を一段と苦しめていたのです。当時私は、母の死があまりにも強烈過ぎて、悲しみを感じ切れていませんでした。寂しさに蓋をしたまま、挫けずに前進しようとして、必死にもがいていていたのです。そういう、もう一人の自分の姿が、今回はっきりと見えてきました。このもう一人の自分に寄り添っていくと、母への思慕の念がどんなに深いものであったか、よくわかりました。

 

 私は母が大好きで、もう少し側に居たかったのです。当時、胸の潰れる思いがあって、母にそんな話をしていた矢先でしたから、母の死は想像以上に心を深くえぐり取られた感じがしていたのです。私は長女ですから、2歳で母の膝を妹にゆずり、母の背中が私の定位置になりました。5歳で弟が誕生したので、母の背中は妹に明け渡しました。これは長女の宿命ですが、私は強くお姉ちゃんを意識して、状況を察知して聞き分けよく健気に振る舞っていたことを思い出しました。でも本当は、時には妹弟を払いのけて母の膝を独り占めしたかったのです。弟が寝ているときには、多分妹と二人で母の膝を奪還していたのでしょうが、それでは治まらないくらい寂しかったのです。そんな自分の気持ちを、今回しっかりと抱きしめました。なんとも愛おしくて涙がこぼれました。

 

 こんな古いことを思い出して何になるの?と、思われるでしょうが、健気な自分の下にある本音に気付いてあげると、身体は『そうだったの・・・』と大きく息をついて緩んでくるのです。2・3歳の子供でさえ、本音より状況を優先していたということは、周囲の大人達は皆、本音の気持ちよりも状況を優先して生きていたのです。私はそういう大人の生き様を、子供なりに我慢として理解していたようです。

 

 しかし、本音にきづくと、身体は『気付いてくれれば、それでいいんだよ』と即座に我慢から解放してくれたのです。我慢は身体に無理がかかり負担になります。この目には見えない負担が積もっていくと身体の柔軟性が失われ、やがて気持ちのこだわりを起こしてくる・・・ということが「こだわり」に留まって感じていくことで、はっきりと観えてきました。同時にしみじみと感じられてきました。

 

 マインドフルネスになって身体の感覚にとどまっていくことは、身体の柔軟性が戻ってきて、本来の気持ちが甦ってくるスペースが創り出されてきます。このスペースから、色々な感覚が目覚めてきて、物事がすっきりと分かれていって、自分にとっての大事なことが、無理なく腑に落ちてくるのです。

 

 私の「大人」という感覚は、気持ちの自由さをもって状況に添っていくこと・・・内面の気持ちに気づいた上で、行動していくこと。誰も責めない。何のこだわりもない。言葉にならない温かさ。フレンドリーさなど、沢山の事を感じさせてくれました。

 

                 フィールドクリエイター 福田 京子

 

 

 





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